同じ場所にいるのに、同じ世界を見ていない人たち――家族の「沈黙」が子どもから奪っているもの

目次
カフェとレストランで見た光景
カフェのレジ前で
前に並ぶ親子に目が留まった
母親が我が子に話しかけている
でも子どもはスマホをいじりながら
その声を完全に聞き流している
小学校の3、4年生くらいだろうか
オープンテラスのレストランで親子3人がテーブルを囲んでいた
会話は
なかった
母親はスマホを
子どもたちはそれぞれタブレットを
同じ空間で
同じ食事をしながら
全員が別々の世界に生きていた
同じ場所にいるのに
同じ世界を見ていない
なんとも言えない気持ちになった
退屈な隙間が文化を伝えていた
レジを待つ数分
料理が来るまでの時間
かつてはその「退屈な隙間」に
家族の会話があった
季節のこと
行事のこと
昔からの言い伝えのこと
そんな何気ないやり取りの中で
子どもは季節を覚え
言葉を覚え
世界の見方を少しずつ受け取っていた
大人が意識して教え込まなくても
日常の隙間が
自然と文化を伝えていた
そんなことすら「なんにも知らない」まま
大きくなっていく子が
今の時代には少なくない
塾で気づく空白
塾にいると
その空白に気づくことが増えた
トランプを知らない子
天気予報という言葉自体を知らない子
驚かなくなってしまった自分がいる
それがまた
少し怖い
同じ場所で、違う世界を生きている
全員が個別の画面を持ち
アルゴリズムが「今自分が見たいもの」だけを差し出す時代
同じ場所にいても
見ている世界が全員違う
その状態が日常になると
他者と世界を共有する経験が
日常からごっそり消える
これは知識の問題じゃない
物事を構造的に捉える言葉
他者の視点を想像する力
自分の頭で考えるための土台
そういうものが
家庭の何気ない日常から
少しずつ削り取られていく
崩壊は静かに積み重なる
崩壊は
ある日突然起きるわけじゃない
レジ前の数分
食事中の沈黙
そんな小さな積み重ねの中で
静かに
少しずつ
進んでいく
私はあの光景に
何を見たのだろう
もう崩壊は始まっている
そう思いながら
今日も塾のドアを開ける
