思考の代行という静かな喪失

目次
便利さがくれたもの
世の中には
「代行」があふれていますね
- 洗濯機が洗濯をする
- ロボットが掃除をする
- カーナビが道を選ぶ
- 翻訳アプリが言葉を変換する
- カメラが露出を決める
作業の代行とでもいいましょうか
これは悪いことではなく
むしろ文明の進歩であり
人間はその分
もっと価値のあることに
時間を使えるようになったと思います
選ばされているという気づかなさ
この代行
最近は少し様子が違うと思っていて
- おすすめ機能が「次に見る動画」を決める
- 口コミサイトが「行く店」を決める
- ランキングが「買うもの」を決める
自分で選んでいるつもりで
実はアルゴリズムに選ばされているだけ
それでも
多くの人は気づかない
「自分が選んだ」と思っていますから
削られていくもの
作業の代行は時間を生みますが
思考の代行は
何かを少しずつ削っていくんですよね
勉強の場面でも同じことが起きています
本来自分で考えるべきことを
誰かに依存してしまう
自分で委ねるケースと
知らないうちに委ねさせられているケースと
考えるべきことを間違えたまま
さらに厄介なのは
代行している思考そのものがずれていること
これがいちばん気になります
作業を代行することは
人間を自由にしますが
思考を代行することは
人間を止める可能性があります
考えるべきことを間違えたまま
誰かに委ねることを続けていくと
最後には
「自分で考える」という感覚そのものが
どこかへ消えていくでしょう
